この文章は、いま私が教えているアジアのとある大学が抱える問題について指摘し、対策を提案したものです。この大学の学生にいま必要なのはデータベースの演習ではなく、彼らが学ぶべきことはコンピュータの基礎や、情報技術と社会に関する概論である、という主張と提案です。
同時にこの文章は、これまでにコンピュータやインターネットについて体系的な教育を受けたことがないまま、大人になってしまった世代の皆さんにとって必要なこととは何なのか?という視点で読んでも得るものがあるかもれしれません。
「コンピュータができる」とはどういうことか?
日本語とITを専攻する学生たちの強みは、日本語を話せることと同時にコンピュータの素養がある、ということでしょう。では、コンピュータの素養がある、現場で「使える」人材というのはどんな人でしょうか。Excelができる学生でしょうか? Pythonをすこし書いたことがある学生? それとも、SQLをすこし書ける学生? もちろん、すべて違います。
コンピュータができる人材というのは、「未知の技術や技術的問題に直面したときに、自分でその技術を習得したり、問題解決できる人」のことです。「コンピュータ・リテラシー」という言葉が、理解されないまま独り歩きして、多くの大学で似たような名前の「パソコン講座」が教えられています。私もそのような科目を多く教えてきた張本人ですが、これも間違っています。Windows OS上でWordやExcelが使えることがコンピュータの基礎ではありません。
「コンピュータの基礎」とは何か?
では、コンピュータの基礎とはなんでしょうか。2020年に大学生が身につけておくべき内容を少し考えると、以下のようになります。(ぱっと思いついた、暫定のリストです)
- ハードウェアとソフトウェアに関する基礎知識
- ファイルシステム、ファイルの種類
- キーボードのタイピング
- テキストデータの編集
- 画像処理の基礎
- Unixの初歩
- インターネットの基礎
- WWW
- HTML
- オープンソース
- 技術と社会の関係
これらのことがよく分かっていない学生に、いきなりJavaやPythonを教えても、逆効果だということです。授業をする意味がありません。未知の問題を解決できるためには、これまでの技術と社会がどうであったかの概要を知っておく必要があります。その理解がない学生たちに、目先のソフトウェアの操作を教えるような授業をすることに、私は反対です。
Pythonを教えてみて、わかったこと
春学期の間、Pythonを教えてみてわかったことですが、一部の「明らかにコンピュータが得意な学生」を除くと、みな一様にコンピュータの基礎を理解していません。しかも彼らは、この前の学期にJavaを履修しているのです。基礎がない状態で、Javaのような高度な言語の習得を要求されていたわけです。このようなことがないように、すぐに対策をするべきです。
「急がば回れ」です。現場での即戦力を求めるあまり、基礎をないがしろにしてしまっては本末転倒です。これでは、学生たちへの不利益の方が大きくなってしまいます。結果的に、彼らの人生に悪影響を及ぼします。それが大学教育の望むことでしょうか?
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